RECS通信

 

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夢讃歌「農業から世界と個人の在処を見つめる」(君島)

 
 (『月刊ろうきん』 1999年10月号より抜粋)

北アルプスの常念(じょうねん)岳や燕(つばくろ)岳などへの登山口として山岳愛好家に知られている穂高町。そこから更に車で十数分、北アルプスの前山で安曇富士と呼ばれる有明山を真正面に望む地に彼の借りている田畑がある。ここに家族と移り住んで4年半、彼は土にまみれながら、足下から農業を実践すると共に、1年のうちの半分を海外の発展途上国の農業調査をしている。いわば、半農・半学者のような生活スタイルだ。ある時は鍬、ある時はペン、体力と知力をフル稼動させている。

新たなる旅立ち
 12年間勤めていた会社(前勤務先)に区切りを付け、長野県安曇野で百姓暮らしを始めた男がいる。君島崇、44歳。移住したのは4年半ほど前のことだ。とはいっても、彼の場合は漠然とした田舎暮らしへの憧れから農業へと走ったという訳ではない。以前の会社では政府開発援助(ODA: Official Development Assistance)に関る仕事として発展途上国の農業開発のため現地調査や計画立案に携わっていた。いわば俯瞰的な立場で上から農業の在り方を探り指導してきたといえる。その彼が自ら土と触れ、現場で農業を行ってみようと思い立った。その背景には、より農業を側に置きたいという夢と家族と共に日々充足感のある生活を送りたいという願望があったからだ。

 現状では安曇野にいる時は農業、海外へ出掛ける時は農業開発計画の調査マンといういわば「半農・半学者」という生き方をしている。開発コンサルタントとして培ってきたマクロな立場で得られた農業の知識や技術、また作付け計画から収穫までの一連の実作業から得られた現場の知恵、その双方が補完し始めて農業を包括的に認識することができると彼は考えている。

 「どうせやるなら楽しく百姓をやろうと思って始めましたから。試行錯誤で失敗も多いですが、思わぬ発見も多い。3年くらい経った頃、ようやく作物の配置や生産性がわかるようになり、播種時期に合わせた準備作業ができるようになってきた。とは言っても年季の入ったお百姓さんの畑とくらべるとまだまだ見劣りしますがね」。
 麦わら帽子の下の真っ黒に日焼けした顔から白い歯がこぼれた。

世界の農業との接点
 一方、もうひとつの顔である開発コンサルタントとしての仕事も忙しい。会社を辞めたものの、発展途上国の農業開発の調査・計画立案・政策提言の仕事にも追われ、海外を飛び回る日々も多い。安曇野での農作業の合間をぬっての業務ということになる。体がいくつあっても足りないが、農業は日本だけで捉える問題ではなく、世界規模で考えなければ解決できないという信念を持っている。
 彼は海外の貧困な農村を回って、究極的な貧困=食料不足の現況を見つめ続けてきた。インド、ネパール等の南アジア、ベトナム、カンボジア等の東南アジア、ザンビア、タンザニア等の南アフリカ諸国、これらの国々で極貧困にあえぐ人々を見て、食事を余し廃棄している日本の現状に胸が痛んだ。数年前の大冷害時に日本はタイから米を緊急輸入し、タイの米相場を混乱させた上、まずくて、廃棄したというような暴挙があったが、これにも憤りを持った。
 同時に、日本の農業技術協力や経済協力が確かに発展途上国の発展に貢献しているのは確かであるが、ODAに頼って、いつまでも発展途上国の人々が自立できないのは本末転倒である。君島氏はコンサルタントとして縁の下の力持ちに徹し、技術を提言し、人を育てることが大事であると考え続けている。巨大予算に群がる企業や様々な人種はいるにしても、ODAを供与する側である日本人関係者の意識を向上させることが不可欠であると主張する。


 「発展途上国への農業協力と一言で言っても、農業技術支援だけでは解決できず、自然条件の違い、社会基盤整備(道路、水道、電気等)の問題、土地所有制度など社会制度上の問題、市場流通制度上の問題など国によって差異がある。と同時にこれらが複合的に重なりあって、農村部を貧しくしている。お金を提供するだけではなく、本人達自らにそうした障害を認識させ、自立に貢献することがODAの役目だと思います。それを積み重ねた結果、ODAが必要なくなることが理想なんです。」
 今後、食料問題は世界規模で考えなければ解決できる問題ではない。君島氏はこれらの諸問題に対しては、様々な場で提言していきたいと考えている。

個と農業との接点
 安曇野に戻ってくると、農作業が待っている。借りている4反の土地の内訳は水田が2反、畑が2反である。米の他はいも類、豆類など穀類を中心に自給野菜を作っている。保存がきく作物を中心に栽培し、また、ここ数年主食の幅を広げる意味で小麦、ライ麦、黒豆など新しい作物にチャレンジしている。あまり厳格にはしていないが、資源の有効利用を考えて、有機肥料を利用していく算段をしている。更に、生のままで安心して食べることができる作物づくりを基本に農薬も極力押さえている。
 雑草や害虫との壮絶な戦いは余儀無くされるが、こうした農作業の楽しみと同時にもうひとつの農業のおもしろさも分ってきた。
 「今までは農業といえば自分で作物を生産して農協に納めれば完結という川の流れでいえば川上の立場でしか考えられませんでしたが、実は農業を中核に捉えると新たな流通ルートの開発や村おこしなど、様々な可能性を秘めた産業であることが分ってきました。自ら販路を開拓し、消費者と顔の見える関係になれば、生産者も惰性で作物を作るということはなくなります。パソコン通信やインターネットで世界と簡単にコミュニケートできます。私は農業を通して様々な実験を行っていきたいと考えていますが、そうした意味で農業は革新的な実験が可能な時期であるし、夢のある産業だと思います」。
 作業に疲れると畦に腰を下ろし、北アルプスを眺めると心が休まると君島氏は言う。「悠々と急げ」彼に似合う言葉である。
[取材:山川行人]

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